ライターになりたいんだって言ってるでしょ

わたしはとにかくライターになりたい。とにかくとにかくとにかくライターになりたい。言葉ってすばらしいんだもの。すてきなんだもの。ライターになりたいと夢見て早15年。21歳女学生のぽつりぽつり。

コンタクトをつけたら世界が変わった

コンタクトをつけたら日常がほんの少し変わった

視力の低下を感じはじめたのは小学校高学年の頃だった。
原因は当時流行っていたニンテンドーDSのやりすぎに違いないと思う。どうぶつの森牧場物語が好きすぎて、学校から家に帰ったら食事と寝るのとお風呂以外の時間はずっとやっていたと言っても過言ではないはずだ。とてもよろしくない。

それからどんどん黒板の文字が見えなくなって、それでも目が悪いのを認めたくなくて、やがて高校生になり、校内や街中でたまたま私を見かけた友人が遠くから手を振ってくれているはずなのに、当然顔がぼやけて誰だか分からないから、目を細めながら「誰?」なんて冷たい返しをしてしまったり(それから私の友人たちは自分の名前を名乗りながら手を振ってくれるようになった)するようになり、やっと大学の入学式の数日前に母親に眼鏡を買ってもらった。

理由は、大学の健康診断(強制参加)で、もし仮に視力検査なんてものがあったならこの目の悪さがとうとうお医者様にバレて、こんなに見えないのに裸眼で生活してきたなんて信じられないと怒られたらどうしようと思ったからだ。
考えすぎである。

そして準備万端なんでもこいの状態で健康診断に行くと、視力検査はなかった。あれは笑うしかなかった。

まあなにはともあれ眼鏡は手に入れてしまったので、講義の最中だけ眼鏡を使うことにした。
岡大法学部の講義は大体広い講義室で行われることが多かったのだが、意識の高い学生でもない私が座るのはいつも後ろから3列以内の席だったから、眼鏡は大変重宝した。

それから講義中以外にも眼鏡を使うようになり、最近はほとんど眼鏡をかけて生活していた。

こんな眼鏡ライフに終わりを告げ、コンタクトデビューしようとした理由はただ1つ。
眼鏡よりコンタクトの方が少し可愛く見えるから。

今書きながら照れた。理由が乙女だなあと思った。私にもまだこんな愛らしい部分が残っていたなんて。

眼鏡が似合うと言われたことはあるし、昔仲の良かった男の子には、眼鏡をかけた方が可愛いなんて言われてしまったこともある。

でも言わせてほしい。それは普段眼鏡をかけていない女子がたまに眼鏡をかける、というのが新鮮でギャップがあって、それを可愛いと感じているのだと。絶対とは言い切れないけどきっと多数の人がこのタイプだ。そりゃあ美人なら常に眼鏡をかけていても綺麗にきまっているけど、それはごくまれにある例外だ。


まあそんなこんなで意を決してコンタクト屋さんの門戸を叩いた。自動ドアですっと入れた。まずは隣接している眼科に行って診察と装着の仕方を練習するらしく、眼科に行った。つけまつげがばっさばさのギャルお姉さんが対応してくれて、診察以外の視力検査からコンタクトの装着練習まで何から何までつけまつげお姉さんが付き合ってくれた。他のお客さんには人の良さそうな親しみやすいおばさまが対応していた。あっちの人がいいと思った。

全部が終わって外に出たら、少し暗くなってきた空に沢山の星があった。光を点滅させて動く飛行機まで鮮明に映った。仕事が終わって帰路につく人達の表情はみんな急いでいた。待っている人がいるのだろうか。足下に目をやると、歩道に貼られているタイルの一枚一枚がはっきり見えた。割れているものもあった。この道を何人の人が通ったのだろう。そうして、少しずつつき始めた街灯はぼやけることなく煌々としていた。
なかなか悪くない世界で、はやくコンタクトにしておけばよかったと思った。
ぼやけた世界は見たくないものは見えない、ちょっといい世界だけど、良いことも悪いこともなにもかもがはっきり見える世界の方が、色んなことを敏感に感じとれるとてもいい世界だ。